[とりかえ・ばや ]と[ざ・ちぇんじ!]

さいとうちほの「とりかえ・ばや」、初めて目にしたときは「ざ・ちぇんじ!」を思い出さずにはいられませんでした。「ざ・ちぇんじ!」は、氷室冴子作の小説、そしてそれを山内直美が漫画化した前後編2巻が出版されています。氷室冴子の小説の方は1983年〜1985年にかけてコバルトに連載されていたようなので、もう30年以上前の作品ということになります。

そもそも原作のとりかへばやが、男女入替えを基本にした複雑な話なので、舞台説明だけでけっこう説明が長くなるんですね。長くなりすぎたので、とりかえ・ばやの簡単なあらすじを別記事にまとめました。こちらからどうぞ。要所にざ・ちぇんじ!との比較など入れてあります。

ざ・ちぇんじ!

そもそも「とりかへばや物語」は平安時代後期の作者不詳の物語で、現代語で「取りかえたいなあ」という意味のタイトルにも象徴されるように、男女の姉弟が性別を入替えられて育ち、後にもともとの性別に戻るまでのドタバタを描いた物語。下品な内容が含まれるため、竹取物語や源氏物語などの他の物語と比べて下に見られていたようです。これを少女小説にふさわしいソフトなコメディに翻訳したのが氷室冴子作の小説、コメディの雰囲気を活かしてうまく漫画化したのが山内直美で、このコンビは後に大ヒットシリーズ「なんて素敵にジャパネスク」を作り上げました。もっとも、ジャパネスクシリーズの漫画化は途中で山内直美の都合により中断、しかも1993年〜2005年まで10年以上の長い間放置されていました。漫画化再開後の2003年、漫画版の完結を見ることなく、氷室冴子は夭折(といって差し支えないでしょう)しています。余談が過ぎましたが、とにかくこの二人によって作り出された「ざ・ちぇんじ!」は、長い間「とりかへばや物語」の翻案漫画として知られていたのです。

まず氷室冴子原作の小説の方ですが、峯村良子が挿絵を書いていた文庫版に一番思い入れがあります。もう絶版なのですね。その後ハードカバーの愛蔵版が出て、今入手できるのは今市子が挿絵を描いている「月の輝く夜に」とセットになった版です。

ざ・ちぇんじ!からなんて素敵にジャパネスク序盤にかけての山内直実の絵は、80年代らしさが残りつつも、元気で明るく、いかにも氷室冴子の書く現代的な少女像によく合っていたと思います。活動休止の後、置き去りになっていたジャパネスクの帥の宮編を漫画化し、その後「月の輝く夜に」で氷室冴子の平安物を消化しきったようです。今は同じ平安モノ路線で、落窪物語の漫画を描いています。落窪物語は氷室冴子も思い入れのある平安小説であることは、彼女が多くの小説の後書きなどで記しているところです。というより、21世紀版・少年少女古典文学館シリーズで、氷室冴子自身が現代翻訳しています。氷室冴子ファンには有名な話でしたね。復帰後の山内直実の絵は、以前より丸っこい可愛らしい絵柄になっています。ちなみに同じ21世紀版・少年少女古典文学館シリーズの第8巻では、田辺聖子がとりかえばや物語を現代翻訳しています。

「ざ・ちぇんじ!」と「とりかえ・ばや」の違い

全体の雰囲気とか

ざ・ちぇんじ!が全体的にコメディで軽いノリなのに対して、とりかえ・ばやの方はシリアス、恋愛要素も多い正統派少女漫画といったところ。少々展開が遅い感はありますが、絵も華やかで丁寧な心理描写が多いです。ざ・ちぇんじ!の方は原作がコメディなので、山内直実の絵もシンプルで、でもとても原作の雰囲気にあったかわいらしいキャラクターです。とりかえ・ばやでは古風な雰囲気を出すためにわざと古語を使っているところがありますが、ざ・ちぇんじ!はとにかくわかりやすくという配慮かかなりの口語となっています。

また、とりかえ・ばやでは女性の方が沙羅双樹、男性の方が睡蓮というあだ名なのに対して、ざ・ちぇんじ!の方ではどちらも綺羅という名前です。綺羅君、綺羅姫と呼ぶことで性別を区別しています。男女が入れ替わるタイミングさえわかれば、周りの状況で判断できるので、同じ名前でも紛らわしくはないのですね。

天狗

とりかえ・ばやでは序盤に天狗の面をつけた盗賊に攫われるところからはじまり、夢や吉野、鞍馬などのシーンでたびたび天狗が出てきます。前世の縁のため、性別を入れかえて生きる宿命にあることも天狗の口から知らされます。ざ・ちぇんじ!の方は天狗の話などは一切ありません。性別が入れ替わっているのは、ただやんちゃに育ってしまった姫と、母親の信仰のために不本意ながら姫として育てられてしまった公達、という流れ。

帝との出会い、恋愛描写

2つの作品で大きく違うのは、帝の描写です。平安時代なら、帝のお手つきになるのはそれだけで喜ばしいこと、説明など不要です。ところが少女漫画ともなると、ヒロインが帝とどういう出会いをし、なぜ惹かれたか、という描写は必要不可欠。腕の見せ所といってもいいでしょう。

ざ・ちぇんじ!の方では恋愛要素は薄いです。綺羅君(女の子)が北嵯峨で(当時の女性にあるまじき)水浴びをしていたところにたまたま通りがかった帝が、深窓の令嬢が入水しようとしていると勘違い。寒くて震えていた綺羅君をみて、恥ずかしさでうち震えていると更に勘違いし、一目惚れしてしまいます。成り行きで出仕した綺羅君が、北嵯峨であった乙女にそっくりなので気になって…という流れ。綺羅君は他のことで手一杯で、東宮が一方的に綺羅君に執着している部分が大きいです。綺羅君と綺羅姫が入れ替わっても、気づかないほどのボンクラっぷり。お坊ちゃん育ちですね。

とりかえ・ばやの方では、序盤からちょくちょく東宮として登場、帝になってからは沙羅双樹のことが気にかかり、それゆえにそっくりと言われる睡蓮に執着、たびたびの口説きが入る過程がしっかりと描かれています。また沙羅双樹の方でも、りりしい帝に惹かれていく様子が細やかに描かれていて、これぞ少女漫画だという感じ。

ざ・ちぇんじ!の方では、恋愛はむしろ綺羅姫(男の子)の担当。勝ち気で勇ましい女東宮をどうにか制御するうちに、二人の間に信頼関係が芽生え、最終的に女東宮に自分が男であることを打ち明けます。女東宮の協力を得て、無事男女入れ替わって宮中に復帰を果たすのです。これに比べると、とりかえ・ばやの方の女東宮は健気で、自分の役割をなんとか果たそうと頑張っているのがいじらしい女性です。

妊娠とその結果

沙羅双樹(綺羅君)が石蕗に妊娠させられるところは、どちらも共通です。石蕗はざ・ちぇんじ!の方では宰相中将と呼ばれますが、とにかく気が多いという点は同じ。

ですが、ざ・ちぇんじ!は原作が少女小説なので、あまりエグい描写はできないという配慮か、妊娠したと思ったけど実は勘違いだった、というオチで終わります。一方のとりかえ・ばやは沙羅双樹が妊娠し、結局流産という流れ。私は読んでいてかなりショックでした。が、沙羅双樹はそれほど気にする様子もなく、これで石蕗と縁が切れたとせいせいする様子さえ見せます。

また、ざ・ちぇんじ!の方ではただの気が多い公達である宰相中将は、とりかえ・ばやでは情が深くどちらも本気で大事にしたいと思っているものの、それが最終的な不実に繋がることを描きます。現代でも変わらない業を炙り出し、そこから沙羅双樹と四の姫(ざ・ちぇんじ!では三の姫。紛らわしいですね)がどのように立ち直るかを見せることで、女性の芯の強さ、母のしたたかさを描き出すところまで進んでいます。これはさいとうちほならではの展開。

女東宮のプレッシャー、新しい東宮候補

東宮が体調を崩し、新しく東宮をたてることを帝が決意する、という流れはとりかえ・ばやのオリジナルです。吉野の宮、銀覚、弓弦王など、過去の事件と東宮入替えに深く関わってくる人物は、ざ・ちぇんじ!の方にはいません。式部卿の宮はざ・ちぇんじ!に出てきますが、これは宰相中将(石蕗)をけしかける両刀の役だけです。また、尚侍のライバル三の姫も、ざ・ちぇんじ!には出てこないキャラクター。

ここまでは原作とりかへばやや、ざ・ちぇんじ!とほぼ同じ流れをなぞってきたとりかえ・ばやですが、東宮候補編からはかなりさいとうちほのオリジナリティが高くなってきそうです。帝と沙羅双樹のロマンスも気になりますし、続きが楽しみです。まだまだひと波乱ふた波乱ありそうな予感!


[とりかえ・ばや ]と[ざ・ちぇんじ!]” への1件のコメント

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